ピッピへの複雑な感情を解放する
ピッピといえば、「長くつ下のピッピ」の主人公以外、考えられない。
それほど深く印象に残った、約50年前のNHK少年ドラマシリーズでの放映。
主題歌、まだ歌えます。
“チョラホップチョー ララララ チョラホップ サンサ
なーがくつしーたのピッピって知ってるかい
すてきでかーわいい わたしのことよー”
*東京富士美術館にて タスペトリー
このドラマはいったい何!
田舎の子どもであった私は、ぶっ飛んだピッピの行動に目も心も奪われた。
子どもが一軒家で一人で生活?
好きなものを食べて、大人より強くて、掃除は靴がデッキブラシになったものを履いてその辺を歩き回れば終わり。
ペットは犬とか猫でなくサルで、馬も一緒。
そりゃもう自由なんてもんじゃない。
お金はどこから得ているの??
変な心配をしつつ、ピッピの屈託のなさが印象的でした。
放映から数年後。
高校生になった私は兄の真似をしてZ会に入ってみた。
「東大に受かるために友だちはつくらない」
そう宣言して実行し、塾など行かずにZ会だけで現役で東大に合格してしまった。
信号もない田舎で。
村はもう大騒ぎ。
地方紙にインタビューまで載る始末。
しかし、だ。
兄は、兄弟姉妹にとっては誇らしくもあり、目の上の大きなたんこぶでもあった。
勉強机が同じ部屋にあった私は、英語の朗読をすれば「へたくそっ!」と言われ、成績はいつも兄と比べられた。勉強しかしない人と比べられてもな。いったいどこがおもしろくてあんなに勉強ばっかり。祖母から渡されるお年玉も、兄だけ多い。全く迷惑だ。
誇らしいのか迷惑なのかと聞かれれば、当時は迷惑の方が大きかった。
兄は存在自体が、他の兄弟にとっての「いじめ」でもあった。
そんなある日。
私は兄のヒミツを知った。
Z会は成績優秀者を冊子に載せるのに、ハンドルネームを採用していた。
兄はよく掲載されていたが、そのハンドルネームが、なんと「ピッピ」。
「え、ピッピ、好きなんだ・・」
兄のロリコン的な性格には気づいていたが、そうか、ピッピか。
それからは、ピッピといえば兄との嫌な思い出がセットになってしまった。
私は父からは暴力をうけ、母からは暴言をはかれた。
しかし兄は聞きわけが良すぎる子どもで、両親とも兄への接し方は私とはまるで正反対。兄の言うことなら何でも聞いた。
とくに嫌だなと思ったのは、お金のかけ方。
長男だからというのもあったのだろう。
兄にはいくらでもかける。そんな両親の意気込みが感じられる。
それに対して残り3人の兄弟は、「それなりに」でしかない。
本当はそうではなかったのもかしれないが、兄以外の3人は「カス」というか「おまけ」。
特に私は顔もよくなくて、やたらと反抗し、仮病をつかい、親にケンカをふっかけ、何にも誉められることなく育った。
心の奥深くに沈んだ兄=ピッピに対する怨念。
怨念は言い過ぎか。
けれど、ピッピと聞けば、Z会から報奨金までもらっていた兄が一瞬で思い出される。
そんな私の複雑な感情も、今年の夏、八王子の東京富士美術館でやっていた「長くつ下のピッピの世界展」で溶けた。
そこには純粋にピッピだけがいた。
作者リンドグレーンは何より暴力、虐待、不正を嫌った。
そこに私の勝手な怨念を持ち込むのはおかしい。
もうピッピと兄を結びつけて考えるのはよそう。
ピッピはピッピだ(そして兄は兄だ)。
この展覧会でスウェーデン版の挿絵を描いたイングリッド・ヴァン・ニイマンが女性だということを初めて知った。ニイマンは浮世絵に興味を持っていて、ピッピの挿絵にもその影響がいたるところにあるそうだ。
ピッピの目がちょっと吊り目で小さいのも、日本人形に似せているのかも?
学芸員さんがそう説明する。
40年。
私の中のピッピを解放するのにかかった時間だ。
ようこそ、新しいピッピ!
*東京富士美術館にて ニイマンの絵