原因探しをしてはいけない
仕事や受験での失敗は原因を探って、二度と繰り返さないことが大切である。
とは、よく言われることだが、人生における諸問題は、ときに原因探しをしない方がいいのではないかと思う。
なぜなら、それをすると、ドンドン思考が行き詰まって、結局、自分を痛めつけかねないから。
例えば、私の場合、人生途中で失聴してしまったのだけれど、その原因を医学的に探るのはよいとして、私の人生で何か意味があるのかと考えすぎるのは、よくないと思う。
失聴と私の人生を考えたとき、悪いことの方が多かった。
しかし、聞こえないことで助けを求めた人との繋がりができたり、聞こえない世界を身をもって体験でき障害者にも悪い人がいっぱいいることを知り、それまで全く知らなかった手話が身近になった。新聞の企画に難聴を取り上げてもらったこともある。
よいことだってあったのだ。
だからといって、そういう「よいこと」と失聴を恣意的に結びつけ、失聴はそうした「よい」繋がりをつくるためだった、とは考えたくない。
結果は単なる結果だ。
それらの結果は、聞こえないという原因があったからというより、聞こえないから自然にそうなっただけだ。聞こえていても、いや、聞こえている方が「よい」つながりができやすかったかもしれない。過去に戻って健聴な自分を過ごすことはできないので、これは「たら、れば」の推測にしかならないが。
病気でも会社の倒産でも、原因がわかればスッキリする。納得する。
しかし、スッキリしたいがために原因を突き詰めることに熱中しすぎると、いつのまにか大きな穴にはまって抜け出せなくなる。気鬱になる。原因は実は複雑で、何なのか、はっきり決めにくい。シャーロックみたいに簡単には割り出せない。
原因を考えすぎて身体も心もガチガチになったら、考えることをしばし手放す。
ちょっと散歩でもしてみる。