文の個性はレンジフードの油のよう
一般の方でも、プロのライターさんが書いたものでも、作家さんの作品でも、文章にはその人の人格や品格や匂いがにじんでいる。「文は人なり」。だから、文章を読めば、誰が書いたものなのか、ほぼ特定できるし、その人がどんな人かもうっすらとわかってくる。文章は怖い。
細かな言葉使いから漢字の使い方、句読点の打ち方、文頭、結語・・。
いろんな言葉がその人を表している。
わたしは性格が乱暴でサバサバしているので、文章もそんな感じになってしまう。気をつけていても、サッパリサバサバ、はっきりした物言いで色気がない。もう少し細やかで、やさしい雰囲気で、上品で、落ち着いていて・・そんな文章を書いてみたいのに、なかなかそうはならない。
メールは、もっと書いた人物がわかる。
誰からきたと表示されていなくても、メール本文だけで、誰が書いたメールなのかがわかる。
それは、メールは紙より添削しないで、書いたらさっさと送信するからだと思う。
男性が女性にあてて書く「貴女」という表現。
何度かそういう表現のメールを受け取ったことがある。
若い人からも年取った人からも「貴女」と書いたメールを受け取った。
「“貴女”って、今の時代、どうして書くのかな」と思った。
男性の方はメールで女性から「貴殿」と呼ばれたことがあります?
フォーマルな場面ではなくて、女性からのプライベートで。
女性が「貴殿」を滅多に使わないのに反して、男性では「貴女」を使う人をしばしば見かけるのは、男性が女性を「なにか特別なものにしておきたい」という感情があるからではないかと思う。
普段は文を読んだだけで、その人の性格などを詮索はしない。もちろんです。
でも、なにかあると、「この人は本当は何を考えているんだろう」と思ってしまう。
そういえば、私の大好きなアメリカのテレビドラマでも、書かれた文章で個人を特定するプログラミングがでてきたし、FBやTwitterでも、そのアドレスの個性占いもあった。
個性は、生きているものにベッタリ貼り付いていて、なかなか取れない。
まるで、レンジフードの油・・。
つまり、レンジフードの油みたいなのが、メールの文章についているということか。
後味のよくない終わりになってしまった。