「ぼっち」は偉大だ
わたしの息子は「ぼっち」です。
いま、大学3年生。
2浪して希望の大学に入って、これからは友だちもたくさんできて、アルバイトもして家計を助けてくれて、彼女もできるのかなと思っていたら、なんと入学2ヶ月で早々とサークルをやめ、真っ直ぐ帰宅するようになった。
わたし自身は1960年生まれで、ある程度の大学に入れば将来はほぼ約束されていた世代だ。
就職活動のときには、会社側からわざわざ「社長になりませんか?」や「ぜひ、エントリーしてください」という電話を直接いただいた。
楽して入って、会社がつぶれない限り、そのまま居座っている最後の世代である。
女性は寿退職が当たり前であった。
大学では勉強なんかしないで、バイトと恋愛と飲酒にあけくれる。
なんて情けない青春。
しかし、それが平均だったのだ。
大学とは友だちとつるんでバカするところ、みたいな認識があった。
その私の「常識」を覆してくれたのが、息子だ。
「友だちをつくらない」って、テストのときどうするんだと思っていたら、コツコツ勉強して比較的成績もよい。
最初は効率の悪い、要領のよくないやり方に思った。
事実、1単位落とした。
しかし、先輩のアドバイスも聞かず、取りやすい単位を取ろうともせず、コツコツ勉学に励む。
たいしたもんである。
「大学は勉強より社会勉強をするべきだ」との意見も見かける。
確かに。
わたしは社会勉強ばかりしてしまい、何の専門性も身に付かず、「大学でこれだけ勉強しました」と誇れるものが何一つない。
実に恥ずかしい。
それに比べて息子は、勉強だけはしっかりしている。
卒業すれば、「これだけはやった」と言えるだろう。
友だちがいない、その状態で毎日キチンと大学に行き、特に何かを愚痴ることもなく、ギリギリでもレポートを仕上げる。
コピペはしない。
わたしにできるだろうか?
特に親しく話す人もいない大学に、楽しく通えるだろうか?
いや、できない。
「ぼっち」は、社会性にもコミュニケーション力にも欠けると言われている。
ある人は血相を変えて、「将来ニートになるよ!」と言った。
しかし、しかし。
ぼっちを貫き通すのも、それなりに精神力がないとできないはずだ。
わたしは今、ぼっちでがんばっている息子をえらいと思う。
親が子どもを信じないでどうする。
全国のぼっちくん、ぼっちちゃん、そのままぼっちを貫くもヨシ、路線変更もヨシ。
応援しているよ(ただし、就職はしてね)。