レモンパン

こんがらがっている、ちいさなじぶんのせいりのために書いています。

君は裸で生きられるか

水は、水道をひねれば出てくる。

火は、スイッチひとつでつく。

食料は、お金があれば簡単に手に入る。

 

おおかたの日本人の生活は、水も火も食料も、一から自分で用意しなくとも整うのではないだろうか。

そうしたなかで、もっとおいしいものを食べたいとか、もっと高級な車に乗りたいとか、もっとおしゃれなバッグを持ちたいとか、日々わき上がる欲望と闘いながら、結局は毎日、お金の心配と目先の仕事や家事だけでキリキリしながら過ごす。

おおかたの人の生活はそうなのではないかと思う。

 

私も生活力のない人間として、文明の発展に完全におぶさった状態で過ごしている。

自分で水を探すだの、火をおこすだの、全くできない。

それどころか、自分の食い扶持も稼げてない。

 

そういう文明に慣れきった私に強力なパンチをみまう番組が出現した。

「ザ・無人島生活」。

 

ディスカバリーチャンネルで先月まで放映されていた。

服なし、水なし、ナイフなし。

食料も持ち込まず、たったの一人で無人島で60日間も生活するドキュメンタリー。

チャレンジしたのは、エド・スタッフォード。

元イギリス陸軍で探検家。アマゾン川全域踏破でギネス記録保持者。

肉体も健康的で、見るからに強そうだ。

 

そんな彼が本当に“裸”一貫で無人島生活。

それは思ったよりずっと困難の多いものだった。

 

まず、水の確保がむずかしい。

人間、食べ物は1週間なくても大丈夫だけど、水は3日飲めないとダメなんだそう。

飲用に適する水を探す。これがどんなに難しいことか。

そして、火。

文明の証。人と動物が違う大きな一点。

この二つの確保に苦労するエド

 

無人島生活」の最初の頃は、サバイバル番組の王者ベア・グリルスの真似っこかと思って軽く見ていたけれど、番組が進むうちに、服を着てナイフも持ってサバイバルしていたベアさんとは次元の違った困難さに、だんだん目が離せなくなり、背筋が伸びていった(もちろんベアさんもすごい)。

 

番組は淡々とエドだけを放映する。

ひな壇に座った芸能人が途中で映ってコメントをはさむ、なんてこともない。

画面には、ひたすらエド一人の生きるという苦労が流れるのみ。

 

テレビは、「あれは番組だから」と、画面と自分に一定の線を引いて見るというのが一般的な見方だと思う。しかし、「無人島生活」を見続けているうちに、何も持たない人間が、いかに今の文明社会を築いたか、そのすごさに気づいた。

そしていつのまにか、画面と自分との一線が消えていた。

ここまで強烈に人類の歴史を思い起こさせた番組も本も、今までなかったと思う。

 

たった一人で、何も持たずに、無人島生活。

カメラマンさえいない。

そのシンプルさにやられてしまった。

 

エド個人のキャラクターもいい。

濃い顔に濃い身体。

彼ならきっと最後までやり遂げるはずだ。

そんな彼が火おこしに失敗すると、まるで子どものような泣き顔になる。

そのギャップと共感。

テレビに映っているのは21世紀の人間なのだけど、きっと何万年前の人間も、あんな顔で失望していたのだろう。

 

番組が終わり、今の自分の生活を振り返れば、なんて恵まれているんだと思う。

サバイバルしなくても、夜、暖かい布団で眠れる。

すごいことではないか。

 そのすごさを今の私たちは普段、感じることが少ない。

 

震災も今の生活が当たり前ではないと強烈に思い出させてくれたけど、エドの「無人島生活」もしっかり私にパンチをくらわせた。

 

文明はありがたい。

今の豊かな生活は、太古から人が営々と築き上げてきたものだ。

コツコツ変えてきたのだ。

 

「ザ・無人島生活」で私は心の奥底にある何かのスイッチが入り、今までと世界の見方が変わっていった。

おいしいものを食べたいとか、好きな服を着たいとかの欲望を客観的に眺められるようになり、本当にそれは必要なのかと思うのだった。

 

とはいえ、時間が経てば、反省もどきはすぐに忘れてしまう。 

すぐに「あれが欲しい」「これを変えたい」とネットで通販サイトをググって時間をつぶす。

私も裸一環でサバイバルした方が・・。

いや、絶対にしたくない。