レモンパン

こんがらがっている、ちいさなじぶんのせいりのために書いています。

殺されると思った瞬間

わたしには一度だけ、人から本当に殺されると思った瞬間がある。

 

それは20数年前のアフリカ駐在時のことだ。

夫は出張で不在。夜中の1時過ぎ。わたしはお風呂に入っていた。

するといきなり家のアラームがなった。

アフリカのその国は泥棒が多く、泥棒と家の中で鉢合わせると、まず命はないものと思えと言われていた。

「泥棒なのか?」

 

急いで服を着て、他の部屋の明かりをつけつつ、家中を見て回る。

すると・・・台所の外に背の高い男の人が!

 

「きゃーーーーーーーー!!!」

 

どこからそんな声が出るんだろうと自分でも思うほどコントロールできない叫び。

しかし、その後は全く声が出ない。身動きもできない。

ただただ息が止まって立ちすくんで、「ああ、わたしは殺されるんだ」と思った。

そのときの恐怖心は、いまだ具体的に思い返すことができる。

みぞおちが熱くなり、全身の細胞が恐怖でパニックになり、そしてその全ての細胞が「殺されたくない」と訴えた。

死にたくないとの思いは、細胞単位だった。

 

命は、生きよう生きようとプログラムされていて、理不尽な形での死には全力で拒否する。

細胞レベルでは、生きることを簡単には諦めないのだと思う。

それがきっと生命というものなのだだろう。

 

結局、台所の外に立っていた男性は、アラームでやってきてくれた警備会社の人とわかり、泥棒もいなくて、「よかったよかった」で終わったのだけど、あの腹の底から「殺されるのはイヤだ」と思った感覚は、ずーっと消えないで残っている。

ある意味、「よい経験」をしたかもしれない。

 

わたしは”半うつ病”なので、朝起きたとき、「もう消えてなくなりたい」と思うことがある。

けれど、あの強烈な体験から、死ぬ瞬間、細胞が「しまった!」と絶対に言うと思うので実行はしないし、できない。

 

人を殺すこと、自分で自分を殺すこと。

それは細胞レベルで理不尽なことなのだと思う。