定番のフレーズを信じ込むこと
8月のことだ。
FBで冗談めかして、「夏休み、息子が帰ってこないと言う。ぐれていいですか」と書き込んだ。
息子はこの春から中国地方の会社に勤めている。
夏休みは帰省するのか、しないのか。さっぱりわからない。
いつのまにか私の中では、息子から帰ってこないと連絡があったことになってしまった。
はっきり連絡があれば諦めもつく。
なので、そう思い込み、事実を誤認した上、「ぐれていいですか」と書き込んだ。
笑いを取ろうとしたのだ。
この投稿に、「いいかげん子離れしなよ」と二人からマジレスがついた。
バッカだなあと笑ってスルーされると思っていたこちらは、そんな反応が返ってくることをこれっぽっちも想像してなかった。
しまった。やっちまった。
子離れできてないのは本当だとして、軽い冗談めの発言に真面目な反応というのが、まず、むずがゆかった。
そして、私の厳しい家庭や身体の事情も知らないで、いや、知らないのは当然だが、簡単に「子離れしなよ」と言ってほしくなかった。
そんな定番の言葉をあてはめてほしくなかった。
私は南アフリカ共和国で第一子を産んだ。
息子が生後半年で日本に戻ってきたとき、それまで徐々に進行していた難聴が決定的に悪くなっていることに気づく。
つまり、子育てと障害が一気にやってきた。
加えて、日本に戻って来てから、夫もおかしくなってしまった。
夜泣きのひどい息子に、聞こえなくてなかなか気づかない反応の遅い妻。
車通勤ができたアフリカと違い、日本の仕事環境に慣れなかったのだろうか。
夫は家に帰らなくなった。
実家の母は、私が聞こえなくなったと知ったとき、「そんなんで子どもの言葉は大丈夫なのか」と、私の耳より子どもの言葉の発達を心配した。
抱っこも母に非難された。
「抱き癖がつく」
夫もその言葉に荷担した。
二人とも、子どもは放置して育てろと私にプレッシャーをかけ続けた。
私の育児は今で言うワンオペになり、同時に夫は遊びで借金をつくるようになった。
泣く子どもと、泣くサイフ。
給料まであと3日間なのに、手持ちの現金は500円。
そんな日々。
離婚も、もちろん考えたが、聞こえない身ではアパートも借りられない。
まずはと、自宅でできる仕事を始め、家事と仕事と子育てにクルクル。
小学校6年では学級崩壊と登校拒否。
いきなり家を飛び出して帰ってこない息子は、警察で保護されていた。
そんな中、40年ぶりぐらいに田舎の友人と連絡が取れ、「私立中はよいよ」と勧められた。
学級崩壊の件で、担任の先生や校長、教育委員会とやりとりするなか、保身に走られたり、いい訳を並べられたりして、私は公教育に不信感をもっていた。
息子には、先生や同級生とフツーに楽しく過ごしてほしかった。
それで小6の12月から、いきなり中学受験の準備。
中高はおだやかな学校で楽しく過ごすも、大学受験では2浪。
その間、ずーっと借金の催促(請求書)が届く。
マンションローンの借り換えは、私が銀行に出向いて筆談で対応してもらってやった。
なんとか返済は1年繰り上がった。
けれど、私立の学費とローンと夫がつくるキャッシングの請求がある。
問題は子どもが巣立つまでの26年間、続いた。
このぐらいの「事件」はどこの家庭でもあるかもしれない。
私立大学に院まで含め6年間通わせられたのは、まだよい方かもしれない。
けれど、聞こえない私にとって子育ては、何か問題がある度、確認に手間取り、時間もかかり、負荷の重いものだった。
そうしてやっと巣立ったのだ。
「ぐれていいですか」の言葉が悪すぎたとしても、夏休みに息子が帰ってくることを楽しみにして、何か問題なのだろうか。
そんなに子離れができてないなら、地方への就職を勧めたりはしない。
なかなか就職が決まらない息子に地方はどうかと勧めたのは私である。
たとえ都内の会社になっても、一人暮らしはしてもらうつもりだった。
それを「子離れができてない」と単純に非難されたくない。
こちらの事情も知らないのに。
いや、むしろ知らないから言うんだよね。
知らないし、その方たちは子育ての経験がない。
ただ、「子離れができない母親はみっともない」と、そういった風潮に、考え方に、定番のフレーズに、二人は乗っかったのだろう。
個別な事情ではなくて、社会のあやふやな空気にあてはめられての批評が悔しい。
うん、正直、そういうことなんだ。