レモンパン

こんがらがっている、ちいさなじぶんのせいりのために書いています。

サッカー日本と闘争心

自分で思っている以上に楽しんでいるW杯。

いろいろ「事件」がありますね。

私は南米が好きなので、南米応援派。

ドイツよりアルゼンチンに優勝して欲しいです。

 

さて、日本が1次リーグ敗退して、その理由としてメンタルの弱さが話題に上がった。「勝ちに行こうという気持ち、気迫が足りない」というものだ。

毎回、日本が負けるとそう言われる。

フィジカルの弱さとメンタルの弱さ。世界では勝てないとかなんとか。

 

わたしも日本の試合を見ていて、「受け身に回っているのかな」「もうちょっと積極的にいったら」と思うこともあるけれど、実際ピッチに立って試合をしていると、きっと自分のがんばり以外でどうにもできない部分があるのだと思う。

個人競技ではないし、相手もいるんだし、燃焼しきれない何かの流れができてしまうのではないかと思っている。

 

試合は勝つことが最大の目的だ。

だから「負けん気」「闘争心」は最大限 評価される。

そうした意見を見聞するたびに、わたしは複雑な気持ちになる。

 なぜなら、小さい頃、母から「この子は負けん気がすごい」と言われ、否定され続けたから。

 

自分では負けん気の強い子どもだったとは思わない。

しかし、母にはそうとしか見えてなかったようで、ことあるごとに「あなたは負けず嫌いだからダメなんだ」と嫌みを言われ続けた。

わたしはいつのまにか自分を否定するようになっていった。

もちろん母のせいだけではないのだけれど。

「負けん気」や「やる気」はダメなのだと意識の底にインプットして、人には見せないようにしたばかりか、いつのまにか「やらない」人になっていった。

 

そうしてやるべき努力さえ放棄し、中途半端に生きて中年にさしかかり、今、テレビやネットで「闘争心」が賞賛されるたび、「あのとき、もっとがんばっていればよかった」と思うことがある。

情けない、人のせいにして。

 

「時代は変わった」とも思う。

母の時代は、「女性はおしとやかに男性をたてる」が最大限の褒め言葉で、一人でガツガツがんばったり、一人でさっさと旅行に言ったり、一人で勉強したりする女の子は可愛げがないと言われたのだ。母は単に自分が生きた時代の雰囲気を言っていたのに過ぎないのだろう。母なりの伝え方のヘタさで、私の負けず嫌いを暗に心配していたのだろう。「あなたにはフツーの女性の幸せは得られない」と。

 

やる気を出しても、闘争心をみなぎらせても、世の中そんなにスイスイ渡っていけるものではない。女性は表面上、穏やかに見せていた方が得な場面も多いと感じる。しかし、だ。

 

人を罵倒する方向に傾く闘争心ではなくて、自分と闘う闘争心。

それは受験勉強のときだけでなく、常にもっていていいはずだ。

 

あの浅田真央ちゃんの記事でも、「表面的にはお茶目で可愛く見える彼女も、実は負けん気が強い」と書かれたものを読んだことがある。これでは負けん気が、可愛さに比してよくない性質のようではないか。特に女性の闘争心は批判的に書かれてしまうように思う。

 

女性でも闘争心はバンバン出していいはずだ。

それを燃やしてでしか進めないときがあるではないか。

スポーツだけではなくて、なんでも「なにくそっ」という気持ちでしか涙を拭けないときがある。

 

今、男性でも女性でも、純粋な闘争心は賞賛される時代になってきた。

自分のやる気と負けん気が行動の「杖」になるのだ。