レモンパン

こんがらがっている、ちいさなじぶんのせいりのために書いています。

人は過去に取り憑かれる

今朝のNHKあさイチの特集は、「母が重い」。

 

「母という病」だ。

「母になったから、母だから、がんばらなきゃ」が行き過ぎて、子どもを縛ってしまう。もしくは子どもに依存してしまう。わたしもやっているし、自身の母からは何をしても「お前が悪い」と言われ続けたので、よくわかる。

 

あさイチの特集では、ずーっとお母さんの愚痴を聞き続けていた女性が、義母の介護を契機にうつを発症して、その後もうつが治らず、通っているクリニックで先生に相談すると、「他にストレスはないですか?」と聞かれ、そういえば母の愚痴を聞かされているのがストレスだと気づいたそう。

 

人間って過去に取り憑かれるものだなと、朝のボーッとした頭で思う。

その女性は現在進行形で続いているお母さんの愚痴だが、過去からのものがたまりにたまっているわけだ。

 

アメリカのカリスマドッグトレーナー、シーザー・ミランのことを、ふと思い出す。

シーザーはよく言う。

「犬は今を生きているんです」

 

「人は過去ばかり見てしまう。例えば捨て犬を拾った場合、その犬の過去、虐待されたとか、不憫な環境にいたと思って憐憫の情をかけるけれど、犬はそんなことを思っていない。今を生きています。だから犬の今を見てあげてください。飼い主の余計な思いは犬にとっては不安の元になるからよくありません」と、しゅっちゅう言っている。

 

あちらこちらにウンチやオシッコをして、どうしようもなかったワンコが賢くなったり、暴力的だったのがおとなしくなったり、シーザーの言うことは一発で聞くワンコたち。そんなシーザーマジックと、「犬は今を生きる」発言を何回も何回も聞いていると、「そうだ、人が過去にこだわりすぎるのはよくない!」と、ひらめく。

 

でも、私はすぐに過去に戻ってしまい、グズグズ考えたりして、すっぱり気持ちを切り替えられない。ああ、人間って、ほんとうにめんどくさい。対して犬は賢い。

 

今を楽しんで生きている人は、ときに軽薄に見えてしまうことがあるけれど、それは動物としては、まっとうな姿勢なのだ。

 

過去に取り憑かれてどうしようもなくなったときは、ワンコやニャンコを見て、とりあえず、ご飯食べて遊んで寝ればいい。

目の前の今を生きりゃ、なんとかなっていく。その積み重ね。